昭和40年04月03日 朝の御理解
自分の心が母体である。そこが皆さん本当に分からせて頂かなければ、おかげは和賀心である。おかげを生みなすものは自分の心。いかに神様を拝んだってお神様から、おかげが出るを思うなと自分の心から練りだすと思えと、四神様が仰っておられるように、愈々その自分の心からおかげは生みなしていくもの。ですからそれが母体になるもの、それはやはり自分の心の中にいつも和らぎ、喜ぶ心を頂いて、いうなら自由自在に自分の心を有り難い方へ、有り難い方へと使わせて頂けるような心。
そこに、おかげが自由自在に、と言う様なおかげを生みなす事が出来るのであると。そんならそう言う様に、自分の心の中にどのような事でも、自由自在に有り難く受けれさえすりゃそれでいいんだなと、それでいいんですと。さぁ実際、その問題に直面すると、なかなか自由自在に心が動かないというところに、稽古があるのです。ね。そこで私はその思わせて頂くのですけれど。
例えばどのような、毒気にあたってもですね、いわばその毒をいちいち消すだけの、働きというものが、何時も心の中になされておかなければならないと思うのです。講談の中で申します、加藤清正という人は、その毒気にあうということを知っておった。毒をもられるということを。それをそのその前にその毒消しを飲んでおったと、いち命を取り止めたという話があるですように、その毒消しを先に頂いたわけなのです。
だから、触らんですむのです。皆さんどのようなことが、毒消しになると思うですか。勿論和らぎ喜ぶ心なのですけれども、その一口で和らぎ喜ぶ心というけれども、なかなかその有難いな、有難いなと思っておっても、例えばなら毒気のある言葉を聞いたり、その見たり致しますと、今まで有難いと思うておったのが、一辺に冷めてしまうと。そして、それが心のしこりになり、ね。自由自在にそれを有難いと受ける事が出来ないという事ですね。それはあのうどんなことでもやっぱりそうなんですよ。
あたしだんが北京から引揚げて帰りまして間もなく、家内の兄も、奈良の方へ引揚げて帰って、奈良の母の里の方へ落ち着いたらしいんです。私は一面識もないんです。もう長く言うなら放蕩してまわっておって、結局二人の娘にかかっておったんですから。そして、釜山、北京と言う様に、おかげを頂いておるおったんです。一人息子がおるけれども一人息子には、いうなら勘当同様やった。
いうなら、その息子が終戦と同時に帰ってきたんです。そして、そのいわゆる、自分の妹がこちらへ、九州の方へ縁付いて来ておるということを、まぁ風の便りで聞いたんですね。そして、私に借金の申し入れをやってきたんです。それはもう、親でも兄弟でもかもうてはならんと、親戚の者もかもうてはならん、というように、放蕩づいた人なんです。帰ってこんなら、帰ってこんほうが幸いのように思っておった。ひっこりその兄から、私宛てに手紙がきた。
しかも、その手紙を開けてみると、今度その結婚をすると。どうでも、金が千円ばっかり金が必要だと。むこうとしても、その妹の婿のあなたにです、一面識もないあなたにこんなことは、言えんのだけれど、なんとか工夫ができんのだろうか、というて、その相談がきたんです。その時に、私共がもって帰ってお金が、一人千円なんです。家内は、そんなことはほっておけという風に申しましたけれども、私にしてみれば、義理もあるし、そのそんなわけにはまいりませんから。
いわゆるその一人、私が一人もって帰れた金が千円なんです。その千円の金を、私が送ってやったんです。もうこちらえ帰って、間もなくのことでした。ところがですね、一番始めからそんなことが一つも、引っかかってなかったことですね。今、今日私改めてそれを思うんです。本当にもう、今の金にしたらたいした金ですけんね。しかも、あなたその金が、そういうまぁ大変な大事な金なんです。
私共が生活していくうえにおいてですたい。私の場合それが、もう何ていうでしょうかね、一旦その出したが最後ですね、もうほんとに実に淡々としておられるということです。まぁ私が今日言うその、毒消しというのはですね、そういうような、場合でも同じことが言えるということ。いつまでも、あの貸した千円が忘れられないといったもんじゃないということです。
もう、あれを貸しとったが、あれがいつまでも戻さんということが、戻さん間思わなければならなかったりするということはないでしょうかね。まぁそれをどういう風に信心で頂いていくだろうかと思うと、結局巡りのおとり祓いといったような思い方を、一つの思い込みが、あったようですね。こうした観念とか、こうした関係。ね、身も知らないけれども、家内の兄弟に間違えはないとこういう。
いわゆる、親戚から親からも、?されておる、まぁとにかく私に借金を申し込んでくるくらいだから、もうやはりよくせきなことだろう。ね。無理に無いというて断わるわけにもできん。そこで、私がいうなら嫌と言いきらん性分が、そげん時現れたんですね。いわゆるその自分がふうたらぬくいという表現で申し上げておりましたんですけれど、申し込まれてその嫌と言いきらん性分、そしてその嫌と言いきらん性分であるですけれども、本当にそのひとつも私が、あのう返して欲しいとも、( ? )とも、その後に思っていないことなんですね。
そういうこともある。または、ある場合には、毒々しいその言葉をその皮肉なら皮肉を言われて、自分の心の中にです、ね、しこりを作ると。( ? )そういうさまざまなことがあろうと思うのです。ね。問題は、自分の心をそれこそ硬直してしまったように、身動きがとれなくなるようなことが直面したときということなんですよ。そういうときに、いわば自由自在にですね、自分の心というものを、有り難い方へ、有り難い方へと、つこうていけれるということ。
そういうやはりどうしても、そういう思い込みというものがです、間違えのない思い込みというのが、なからなければならない。昨日東京の、徳久さんの息子さんが、久保山さんの所の、稔さんがおられる所のお店に、丸5年間修行して、昨日(その念願かえて?)帰ってきたんです。もう本当に、昨日ここで、言っておるんですね。僕が母親とここに、中学校卒業してからすぐ、その、東京行きの話があった時にお伺いにきた。
母も、おそらく内の子供に東京に、寿司屋の小僧に行けなんてこと、親先生が仰らんだろうとこう思うてきた。自分もおそらくそうではなかろうと思うけれども、御神意を頂いてから、腹を?二人共で決めようというわけだった。ところが、お伺いしたら、もう早速、その先生が仰ったことは、「それは、おかげじゃろう。」と仰った。まぁある意味で、こう( ? )がっかりしたわけなんですね。
もっと良い所といいますか、その高校にでも行けとかどうかこう言うならとだいたいは、予想しとったんです。ところが、寿司屋に行くということを、おかげとこう言う。そこで帰る道みち神様が仰ってくださるんだから、そこで私も腹が決まり、母親も腹が決まったようなことで、おかげを頂いた。いよいよ本気で上京するからにはですね、いわゆる5年なら5年が開くまでは?、どげなん修行があっても、仕事があっても、決して家には帰らないというのが、心に一つの誓いになったわけなんですね。
その5年の間には、もうそれは本当に様々、もう飛んで内に帰りたいときもあったし、もうそれこそ血の涙も出るようなこともあったけれども、振り返って考えてみると、そのことがみんな楽しいことであったということに気付いておりますと、こう言う。もう本当にあの、師匠の感化を受けるというのが、ある意味であるだろうかと思うんですけれども、ここの久保山先生のところの稔さんのことと同じですね。
言うこと、すること、動作まで、気のつく具合まで。( ? )させて頂いたんですけれども、もー本当にそれを感じました。稔さんの言われることを、金光様が言うてくださることだと、もーとにかく僕はいつも稔さんを通して、椛目の金光様を拝んでおると、こういうふうに言ってるんですね。そして、( ? )おりますときに、今度また、お店の方のご主人が、今度職人としてまた来てくれと、こういわれるので、一月こちらにおって、御本部参拝のおかげを頂いて、また上京したい。
そしたら、その行きがけにも、親先生からこうしてお書き下げを頂いたから、こんど行くときにも何がお書き下げをけんでしょうかと、その言うて御神米を出して、御神米に頂こうというわけなのです。ほいでその丁度、5年前にここで頂いておったのが、『素直にななれよ』と、御神米に書いてある。素直になる。先生この素直になるよと、このことがです、私の5年間を支えてきたとこういう。
これは、( ? )かと思ってもです、そんなときでも、すみませんとこう詫びてきたちゅうわけです。ね。ですから、その、今度もまた職人で東京に行くのに、何かそういう神様のお言葉を一つ頂きたいというわけなです。けれど、まだあんなひと月もおるなら、まだ何回も出てくるだろう。まぁそん時でいいじゃないかと。はぁそれはそれでいいんですけれどもというて、帰ったんです。帰ってその、10分か十数分しよったら、また来てるんですね。
そして、その言うことです。先生先ほどはどうもご無礼を申しましたと。私はもうやはり、今度も御教えは頂いてまいりませんと。私はこの『素直になるよ』というこれだけでも、まだ本当に徹底して味わっていない。これが5年間私を支えてきたように、これからもやはりこれが私を支えてくれる教えにならなければならんから、先ほど申しましたのは、あの、取り消しにきてるんです。
そばで、勝彦が、子供のときに、ここでよく遊んでおりましたし、東京に行っては、大変お世話になったりしておりましたから、帰ってくると、勝彦も前の晩から帰ってきておりました。待ってたわけなんです。二人で非常にその感激しおうてから、もう勝彦ちゃんって、丁度ここに勝彦が座ってたんですね。ですからもう、親先生が座っておられたような、そのもとがどこにあるかと。ね。
一生懸命の結局、修行にあるということ。片一方は、まぁ、お寿司屋の修行をしてこられたんです。片一方は、本気で信心の修行を、まぁしておるもん同士が、いわいるその話があっておるわけなんですけどね。そういうようなその、私は中からでも、何かひとつの教えというものが、その人の信心の筋かねなってですたい、その人のあらゆる方面のそれが、支えになっておるということ。それが皆さんがあちらへ ? 時に頂いた、その慢心をするなということ。
もう、本当にもう、(?)さんが今でも言われるように、もう、あげなんこと頂いて腹んたったっちいう。ところが、後になってみれば、なってみるほど、僕をいつも自重させておるものは、この御教えだと、こう。っていうようにですね、私は、本当にそのことを心の守りとするようなです、なにかがなからなければならないということですね。まぁそういうような意味でですね、
私共がその、今日は私はその、毒消しということについてお話しておるわけなんですけどね、私どもが本当に自由自在な心の使い方のおかげを頂いて、自由自在なおかげを生みなしていけれる、その母体にもなるような心をです、頂きたいと。それにはです、ね、私共がそのこういうことを一つ思い込んで、おかなければならない。それは稔さんやら徳久さんがそれを一つの心情に、心の掛け守りにしてきたようにです。ね。
私は、お互い信心させて頂いておる、もう改まることだと、磨くことだと、限りなく美しゅうなることだというようなそのことを、かば目の合言葉のように皆さんが言っておるけれど、果してこれにどの程度取り組んでおるだろうかということなんですよ。もう、言うことだけは、お互い合言葉にはなっているんだけれども、ね。実際に、それをなら、徳久さんやら稔さんやらが、思い込んでおるように、皆さんの信心はそれが、皆さんを支えておるかどうかということなんです、ね。
本気で、私共がです、信心は磨かせて頂く以外にないと、これをいつも心一杯にもっておくことだと思うですね。信心は、もうとにかく磨くこと以外に無いのだと。もう、磨くこと以外にないのだと、ここにはですね、毒気の入りようがないようですね。どんなに、毒気のことが響いてまいりましてもですね、巡りのおとり祓いと思うて、心の一つもさわらない。はぁ神さまが、あげんゆうちから私を磨かせてくださりよると、こういう頂き方になるですから。ね。
まぁもういつも毎日のように、私が申しましておりますことですけれども、それがあまりにも、信心とはそれどこではないことがわかりすぎておる。わかりすぎておって実際は、そのそれが本当に行じられていないのではないか。その証拠に、毒にあてられて、皆が、心が硬直してしまって、おかげのほうも硬直してしまって、自由自在なおかげになってきてないという証拠があるじゃないかということ。
どのような事柄でも、もう本当にその、そのことによって一つ磨こうという、一つ思い込みがです、徳久の息子さんが、その思い込んで、そのことだけに取り組んでおったように、もう磨くことに本当に取り組んでおったら、それが、私は本当に毒消しになると、毒消しの働きをすると、そう私は思うのです。そこに、私は心がです、どのような事柄でも、有り難いほうへ、有り難いほうへと、または自由自在な心の使い方ができる、それがおかげの母体になると。
しかも、それは、自由自在なおかげの基になるということ。信心させて頂いて、おかげを神様から頂くというのではなくて、自分の心から頂けるのだと。そこがわかっても、その心とはどういうような心かと。自在な心、自由な心。しかも、有り難いほうへ、自在に自由に、使こうていけれるその心が、おかげの母体であるということがわかると。わかっただけではいけん。
そんなら、それがですどういうふうにしたらそれが自由自在に使えるかと、有り難いことの場合は有り難い、有り難いのだけれども、この時には有り難いのだけれども、それ以上のことになってきたら、もう惜しいほしいが出たり。いつまでも、そのおしい、ほしいが忘れられなかったり、ね。自分が心を汚しっぱなしであったり、毒気にあたったら、もうその毒気で自分の心が硬直してしまって、動きがとれなくなったり。
それではいけないことがわかった。そこで、一つの思い込みがです、ね、もう本気で、もう心一杯磨かせて頂くことだと、さぁ今日はなんで神様が磨かせてくださるだろうかというような、体勢をもってです、おかげを頂いてまいりますときに、はぁ今日はこれで神様が磨かせてくださるんだなぁというもう頂き方がすでに、自由な心のなっておるわけですね。そういう一つおかげを頂きたいと思います。